2015年5月20日水曜日

海外保険への加入

■海外保険
これはとても重要。
海外転出届を出す流れで当然のように国民健康保険も無くなりました。


30歳を過ぎてくると体の不調が面白いくらいに出てきてます。
本人はまったくもって面白くないんですが。


そんな貧弱なわたしは海外で病気やら怪我やらに見舞われる可能性は非常に高い。
ちょっとくらい高くたっていいです。これだけはしっかりやらせて下さい。



わかりました。では、18万円です。



おぉふ。。。。たかぃ。。。。
でもちょっとくらい高くたって。。。。いいんです。。。。


当初予定していたのは15万円。
えぇ、ほんとにちょっと高くなってしまいました。



■保険会社選び
保険会社も色々あって加入するとなるとどれにしようか悩みます。
わたしの場合は世界的に有名とされているAIU保険を選びました。

と言っても直接ではなく、海外留学・ワーホリ保険を専門に代行しているダイワ保険センターという代理店にお願いしました。

ここです。
http://www.daiwa-hoken.com/studyincanada/


ここでは通常の海外保険をベースに留学専用に組まれた保障セットをいくつか用意していて、とても見やすい選びやすい。


資料請求から営業日3日たらずで全ての手続きが完了してしまいました。
なんと迅速な対応♪ありがたいです。


本来なら1ヶ月や2ヶ月前くらいから手続きするのが理想だそうで、わたしは遅すぎましたね。
出国2週間切ってますし。
それでも、もっとギリギリでも対応ができるそうで大変ありがたいですね。


なので、保険への加入はできるだけ早めに進めた方が直前で焦りもないですし絶対いいです。



■保障内容
これもまたいろいろあるので何ともですが、わたしが重点を置いたのは

・歯科治療
・医療費
・私物の盗難など

主にはこの3つくらいですかね。

歯科治療
通常歯の治療は保険適用外のケースが多いです。
ですが、個人的に一番お世話になりそうなのが虫歯だろうなと感じているため
歯科治療にかかる費用50%保険カバーで上限10万までのプランを選びました。
100%保険がいいんですけどね本当は。。。そんなの無かったw


医療費
これもそれなりの金額設定にはしておきました。
確か上限3000万までだったかな。これも自分の年齢を考えて臆病になった選択です。


私物の盗難
一人暮らしだろうとシェア暮らしだろうとバッパー暮らしだろうと、何が起こるかはわかりません。
わたしの仕事上、パソコンが無いと生きてゆけないのでこの保障は地味にありがたいです。
1品に対して上限10万ってゆうやさしい保障ですけどw


ほかにも火災や水漏れなど、生活上のトラブルに対しても火災保険のような保障もあり、
不慣れな海外生活に小さな安心をお金でカバーです。


と言いましても、歯科治療を除けばそこまで特別なことでも無いと思いますけどね。
結局使わずに終わるんだろうなー。。。いや、使わないのが一番なんですけどね。



ざっくりそんな保障内容で期間1年間で18万くらいでした。
歯科治療を除けば16万くらいなんですけどね。こればっかりはしょうがないです。











2015年5月19日火曜日

役所手続き ~海外転出届け、年金資格喪失届け~

渡航前の手続きとして行うのが ”海外転出届け” 。
正式には住民異動届と呼ぶらしいですが、役所等では海外転出届けと言ったほうが
海外に行く目的の意味も含めて伝わるので良いかもしれません。
わたしの場合は海外転出届けですぐに意味が伝わりました。

多くの方はこの手続きをしているらしいですが、わたしは・・・やります。そんなお金に余裕も無いですし。

この手続きについては参考になるサイトがいくつかあるので、そちらを見て頂いた方が分かりやすいと思いますが、個人的に気になったこともあったので年金事務所に問い合わせたことも含めて
ざっくりとこの手続きをするとどういうことになるのか簡単に残しておきたいと思います。


■基本的なこと

Q, ”海外転出届け”ってなに?
A, 
この手続きをすることで海外に引越したような扱いになり、国民健康保険や国民年金などの
支払い義務が無くなるそうです。

ちなみに、印鑑登録をしている場合はこれも合わせて破棄されるそう。
わたしは登録していなかったので聞いただけですが、特別な手続きは必要無く、転出届を出したことで無効になるそうです。
印鑑登録証明書は自身で勝手にハサミでちょん切って下さいって言ってました。



Q, 手続きをしなかったらどうなるの?
A,
この手続きをしなくても問題は無いのですが、日本に住民票が残ることになるので
支払い義務が今まで通り継続されるので払うものは払っていかねばなりません。
そう。要は手続きしなければお金がかかるのです。



Q,いつやるの?
A,
渡航日14日前から手続きが可能となります。



Q,どこて手続きするの?
A,
住んでいる場所によっては異なる場合もあるそうですが、
基本は市・区役所で出来ます
必要な書類に住所や本籍を書いて終わり。


Q,手続きに必要なものは?
印鑑
場合によっては航空券を証明書代わりに必要とする場合があるらしいです。
わたしの場合は航空券、パスポート等の提示も必要ありませんでした。



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とてもざっくりですが、これで手続きは出来てしまいます。
しかし、個人的にこの”海外転出届け”を出すことで国民年金の扱いがどのような状態になるのか気になったことがあったので以下メモしておきます。
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■国民年金について

Q,渡航中の未納期間はどうなるの?
A,
支払い義務が無くなるので、渡航期間中は払う必要が無くなります。
この支払っていない期間のことを 「空期間」(からきかん) と呼ぶそうですが、空期間の未納分は 無かったもの として扱われるらしく帰国後も支払い義務が発生しないそうです。
帰国してお金が無い人にとってはありがたい話かもしれませんね。


確かにありがたい話かもしれませんが、当然もらえる年金も減ってしまいます。
人によっては隙間無く満納したい方もいるかもしれません。
で、聞いてみました。



Q,帰国後に空期間の未納分を納付できるのか?
A,
支払いの義務は無いので任意ですが出来るそうです。
ただし、支払い出来る期間に制限があります。

帰国日より過去2年間分までしか納付は出来ない」 だそうです。

例)5年間海外にいたとする
  5年間のうち、2年間分は支払いが可能。残りの3年間は完全な空期間となり納付は出来ない。



Q,どうしても空期間の未納分をすべて納付したい場合はどうする?
A,
空期間としての納付はできませんが、60歳になったら年金の支払いを任意で延長(加入)して人よりも長い期間納付することで空期間分の年金を収めたと同等の扱いになるそうです。

なーるほど。
通常の支払い義務の60歳。それ以降に任意で国民年金に加入し、継続して足りない分を払う。
意外と単純でしたね。
どのみち通常なら60歳で支払い終わっても65歳からしか受給始まらないし、その期間で補うってのもありなのかも?

ちなみに年金受給の条件としてトータル25年間分の納付が必要です。
20歳から60歳までの40年間のうち最低でも25年間。。。。ふぅ。。。これが最低ランクか。。。

更に、この空期間分はその25年分に合算されるそうです。
つまり、仮に海外へ5年間行った場合は空期間が5年間となるので
25年 - 5年 = 20年 となるので。。。

この場合は実質20年分の年金が納付されていれば25年分の年金を支払ったと同じ扱いになり
通常通り年金を受給する資格を得られます。

一見お得な感じがしますが、実際に受給される金額は-5年分の受給額になるので通常よりも少なくなるということもお忘れなく。
それが嫌なら任意加入ってことですね。



Q,転出届けを出してから国民年金だけ今まで通り継続して払う方法ってあるの?
A,
方法あります
転出届けを出すことで義務から外れますので、 任意加入 すれば継続して支払いが可能です。


Q,記入する転出届けの日付はいつにしたらいい?
A,
出国日です。


Q.記入する外国の新しい住所が決まってない場合はどうしたらいい?
A,
渡航先の国名だけ記入してください
ホームステイなど行く先の住所があれば良いですが、決まってない場合は国名だけで良いそうです。
わたしもドーンと カナダ とだけ書きました。



■年金資格喪失届けについて

Q.年金資格喪失届けってなに?
A,
国民年金の被保険者では無くなりますよ っていう届出らしいです。
転出届と同時にこの喪失届けを出すことで初めて年金支払いの義務が無くなるそうです。
わたしは役所で言われるまで知りませんでした。

わたしの記入した用紙には 国民年金被保険者関係届書 と書いてありました。
複数の手続きに対応している書類のようで、その項目の中から資格喪失の手続きする感じのようでした。


Q,喪失するその月の年金は支払う必要あるの?
A,
必要ありません
喪失する月の年金は納付の必要が無いそうです。

例えば6月3日付けで喪失届けを出したとして、6月分はどうなんだろう?
6月に喪失するのに6月分の納付が必要なのか?と疑問が出たので聞いてみたら
必要ないとのことでした。
ちなみに、6月2日に出国する場合に喪失する日付は翌日の6月3日になるそうです。
当然ですが、その前月である5月までは被保険者なので通常通り納付の義務があります
これを納付しないとただの未納扱いになります。



■障害基礎年金について

これです。健康な方なら普段はあまり意識しないですが、まったく無いとも限らない。
生きていれば色々なことが起こります。それが海外で起きることだってあるかもしれない。。。
海外に行っている期間でもしもの時、国は援助してくれるのだろうか。。。。

って気になったので聞いてみました。


Q,障害基礎年金ってなに?
A,
国が法で定めた障害状態になった場合 障害基礎年金 として国からお金が支給されます。



Q,空期間中にもしものことが起きた場合は障害基礎年金の対象になるの?
A.
結論から言うと、 対象にならない可能性が高い だそうです。
つまり、空期間中にもしものことになっても国からの援助はなし。。。

これを受けるには国民年金に 加入 していることが条件のひとつとなっていて空期間中は義務から外れて 非加入者 となるので対象にはならないだろうとのこと。



Q,対象になるにはどうしたらいいの?
A.
任意加入の手続きをしてください
上記の国民年金でも触れていますが、任意加入していれば空期間とならずに渡航中も
国民年金加入者となり、障害基礎年金の対象者ともなります。

つまるところ、転出届を出す出さないに関わらず年金を継続して支払い続けなければ対象にならないらしいですね。これはなかなかの落とし穴。
知ってしまうと安易な気持ちで 海外転出届け→納付から開放→ひゃっほーぃ にはならなくなりました。正直少し考えてしまいます。

任意加入。。。どうしようかな。。。




■障害基礎年金のおまけ情報
年金に加入しているのは基本の条件。
任意で継続していても、対象になるにはいくつかの条件があるみたいです。

・担当医師の診断が必要(当たり前ですが)

・その初診が加入期間中であること

・①それまでの納付期間中、3分の1以上が納付されていること
  ※年金機構の公式サイトには3分の2以上ってなってる。どっちだ?

・②それまでの直近過去3年間の納付がきちんとされていること
  ※これも公式サイトでは過去1年間ってなってる。どっちなんだー

①と②はどちらか当てはまれば良いそうです。
ざっくりとまとめただけなので詳しくは公的機関でしっかりご確認くださいね。




■国民年金の任意加入についてプチ情報
任意加入した状態で外国の国民年金との同時加入はできないそうです。
つまり、日本の年金と外国の年金の同時加入が出来ない

国によっては日本国民年金機構と連携をとっている国もあるそうで、うまくやればスムーズに以降できるのかな?
ここは詳しく聞いてないのでわかりません。
ワークビザとか永住を取得したら関係してくるのかな?
少なくともワーホリ期間中は関係無さそうですね。



ところどころ書いてる内容がフワッと不確定に書いていますが、一応理由があります。
電話で聞いたのはいいものの担当の人もハッキリとした答え方をせず、電話口で誰かほかの人に聞きに行くような様子が伺えたのでわたしもここではフワッと書いています。
中にはわたしの記憶違いで勝手に脳内変換したミスがあるかもしれません。

一応ちゃんとした公的機関で聞いてますが、気になる方は確認のつもりで聞いてみてください。もしかしたら違った答えが出てくるかも。。。







2015年5月1日金曜日

オーストラリア その7 ~再会とラウンド旅行からの金欠~

夜が明ければこっちのものです。
男とは何事も無かったようにお別れし
公衆電話を見つけて友達に電話、ようやくの再会ができました。

再会後はほどなくして友達数人とタスマニア、レンタカー1周旅行をします。
このあたりは楽しさいっぱいで色々あったのですが書くとキリが無いので省略します。

ただ、この期間はとても良い体験、経験ができました。
楽しいことばかりではありません。些細なことで気まずい雰囲気にもなります。
それでも24時間行動は一緒です。お金も無いし。安い食パンとジャムが私たちの胃袋を支えてくれました。あの味は今でも覚えています(笑

2週間ほどのオンボロレンタカー貧乏旅行を終えた後、友達は本土へ。

さて、ここからです。わたしは何のためにオーストラリアに来たのか?
最初の目的は達成。。。。次は。。。なんだ?

とりあえずお金が無いのでバッパーでフリアコ(フリーアコモデーション)のバイトをしながら残り少ないお金を節約しつつ考えた結論。


お金が無ければ何もできない


ようやく気がついたか。

ということで、バイト探し。小さな街です。仕事なんてそうそう見つかりません。
ましてや英語もろくに話せませんからね。

そうとくれば出稼ぎしかない。地方の農園で働き手を募集しているとのこと。
連絡を取るとまだ募集してる!行けるぞ!

なけなしのお金でバスチケットを購入し、いざ!アップルピッキングへ!GO~

オーストラリア その6 ~ワーホリ初夜 警察に世話になる~

最終便でなんとかホバートの空港に到着。
この時の時間は覚えていませんがだいぶ遅かった気がします。
といってもまだギリギリ人は起きている時間だし、街に行けば店もある。
友達もきっとそこにいるだろう(たぶん)。

友達からは「ホバートにいるよ」という有力な情報だけは聞いていたので
迷わずシャトルバスで街へ向かう。馬鹿一人。

(街っぽいところに)到着。着いたぁぁぁぁ!

おーぃ!着いたぞぉー!ホバートぉぉ!

おーぃ!

ぉーぃ。。。。。

誰もいない。車も走ってない。お店も。
。。。。暗いんですけど。

やばい。さみしい。。。
とりあえず宿を探そう。
あわよくばそこに友達がいたりして うふふ♪

宿1件目。入り口がわからない。
宿2件目。ピンポン押しても誰も出てこない。
宿3件目。今日は満室だって。

手持ちの宿情報が底をつきました。

ワーホリに限らず、海外旅行をする多くの人が手にする”地球の歩き方”。
それに限らずとも何かしらのガイドブックを持っているのが普通。

この馬 わたしは持ち合わせていませんでした。
ガイドブック代をケチった代わりに日本から情報をプリントしていきた紙切れが数枚。惨敗です。

可能性を信じて1件目の宿へ。玄関を探す。見つからない。
2件目ピンポン。出てこねぇ。

あー。。。あー。。。野宿かー。。。

バックパックみたいな大型バックを背負って移動していたのもあり
さすがに疲れてベンチに座り一息つきました。
時計を見ればもう深夜。そりゃ閉まるよね、こんな田舎だもの。

なんて思いながら座っていたら遠くの方から人影が。
遠くて分からないが何かを引きずりながらこちらへ向かってくる。

(こわっ。いや、ここは平常心。平常心)
(口笛をひゅるるるる~) ←吹けてない


。。。目の前を通り過ぎる

(ドキドキ。。。)

。。。何事も無く通りすぎる

(ふぅ、、、なんてこたぁないね)

。。。なぜかUターンして戻ってくる

(来るんじゃねぇぇぇ こうぇぇぇぇぇ)


男 「どうしたんだ?こんな遅くに」

わたし (いや、おまえこそ。。。)
     「泊まるところが無くてね。。。」 ←ちょっとかっこつけてる


男 「そうか!同じだな!実は俺もそうなんだ!一緒に飲もうぜ!」

わたし (!?)「え、あ、、うん、いいけど。。。」



よく見てみればこの男、わたしと同い年くらいの欧米人。
引きずっていたのは欧米人らしくないキャリーバック。
その上に無造作に置かれていたダースのビール瓶を1本手渡してきて

男 「Cheers!(乾杯)」

(軽いなこの男。。。。。まいっか)
わたし 「ちあーっす!♪」

飲みながら話を聞いてみると、どうやらこの男。泊まってた宿でオーナーとケンカして
追い出されたそうです。
行く当ても無くフラフラしてたらわたしが目に入ったのだとか(笑
場所は忘れましたが本土のどっかに住んでいるオーストラリア人。

会話の内容なんてもう忘れましたが、わたしも不安だったので仲間が見つかりほっとした記憶があります。

といっても、宿無しの状況は変わってません。むしろ2人に増えてしまった。
そんな中、ポツポツと雨が降り出してしまいやむなく移動。

男 「ここだ!ここしかない!」

わたし 「ここ!?まじで?いいのここ?」

男 「大丈夫だ!問題ない!」


男が腰を下ろしたのはとある病院の緊急車両出入り口。
たしかに屋根はあるけど。。。まーいーか。こっちも緊急に変わりない。
ちょっとだけお邪魔します。

そう思い腰を下ろしたものの、なんか落ち着かない。
わたしが気にしたのは男がそこで残りのビールを飲み続けたこと。
雨宿りはしょーがないとしてここで酒盛りって。。。ちょっと。。。なんかなー。。。


そんなことを考えたらすぐに移動したくなってしまい、会話に集中できない。。。
横目で別の屋根を探す。。。

わたし 「!!あった!ねぇ、あそこにしよう!あそこに今晩お世話になろう!」

男 「え。。。まじかよ。。。正気かおまえ。。。」

わたし 「ちょっと待ってて!聞いてくるから!」

男 「え、おい、ちょっと待て。。。おぃ」

わたしが走って向かった先は交番。薄暗い中、建物の中に明かりが見えたのです。


(おまわりさんならなんとかしてくれるおまわりさんならなんとかしてくれる)

わたし 「すみませーーーーん。だれかいますかーーーーー」

※ちょっと省略

なんとかおまわりさんと話すことができた。
明るくなったら出て行く条件で中の簡易ソファで寝ることを許してもらいました。

わたし 「ねーいいって!泊まっていいってさ!」

男 「・・・お、おう。そうか。。。」

荷物を持って2人で交番へ向かう。。。。その途中

男 「おれ、やっぱいいわ、おまえ1人で行ってくれ」

そう言うと、早足で交番と反対方向へ逃走する男。

わたし 「いやいや、ちょ待て。2人お願いってもうおまわりさんに言っちゃったよ」

男 「!?何余計なこと言ってんだよ。。。マジかよ。。。おれ警察苦手なんだよ。。。」


いったいこいつは何をやってきたんだ?(笑
ボソボソ言いいながらも、なんだかんだで着いてくるし(笑


そんなこんなで人が変わったように無口になった男と2人でやさしいおまわりさんにお世話になり、
素敵なワーホリ初夜を明かしました。
今思えばどこよりも安全な宿だったなと思います(笑

翌朝は約束通り、明るくなったところで起こされ追い出されましたけどね。

オーストラリア その5 ~ワーホリ生活初日 なんとかタスマニアへ~

帰国後、ワーホリビザを申請してチケットを取って。。。普通ならしっかり準備を進めて行かれる方が多いと思います。
わたしの場合、

「急がなければせっかく前回仲良くなった友達がみんな帰国してしまう!」

そんな考えと焦りしかなかったのでとりあえずシドニー行きの安いチケットを取りました。

しかし目的地はシドニーではありません。友達と待ち合わせを約束していたのはタスマニア。
タスマニアはオーストラリア本土を離れて右下に位置する小さな島(と言っても北海道くらいのサイズはあります)。
タスマニアには確か日本からの国際線が無いので本土から国内線に乗り換えが(たしか)必要。
なので別で国内線のチケットを買う必要があります。

「国内線のチケット取るのめんどくさいな。。。んーいっか、行けば何とかなるっしょ」

お気楽すぎですね、この馬鹿は。
シドニーに着いたら早速インフォメーションに行き

わたし
「タスマニア行きのチケット買いたい!今日の便!」

受付のお姉さん
「今日ですか。。。。ありますけど最終便しかないですよ」

わたし
「ぜんぜん問題ないです!それください!」

受付のお姉さん
「$300です」

わたし
「!?。。。あー。。。ちょっと考えさせてください」
(正直このときの正確な金額は覚えてませんが、とてつもなく高く感じた記憶があります)


そもそもワーホリを計画していなかったわたし。当然のようにお金も1-2ヶ月貧乏生活が出来る程度しか持ち合わせていませんでした。

悩みに悩みましたが、ここでまた馬鹿が発動。

「(行けば、、、友達に会えばなんとかなる)すみません、さっきのチケットやっぱください」


行って友達に会っても現地に住んでるわけでもないですし。同じワーホリですからね彼らは。
この馬鹿はそんなことは考えない(ようにしている)。

なんとかチケットは取れました。夜まで待って最終便でタスマニアの州都ホバートへ向かいます。

オーストラリア その4 〜学校〜

飛行機を乗り継ぎ、よーやく着いた場所はオーストラリア、ゴールドコースト。誰もが知ってる観光地。
ここがわたしのホームグラウンド。
この付近に例の知り合いが住んでいる。本人達には言えませんが、もうじーさんばーさんにあと一歩といった超アクティブなラブラブ夫婦。
老後はこんな夫婦生活できたらいーなー…と彼女もいない20歳そこそこの若造は思いました。
そんなラブリー夫婦の元でお世話になったのです。そう、ホームステイ。
ご飯も作って頂きました。まだまだ食欲旺盛なお年頃。カモーンお肉!オーストラリアと言えば〜?
オージービーフ♩オージービーフ♩

出ませんよそんなもの。
だってお肉は健康的じゃないからね、野菜よ野菜。野菜を食べなさい。
そんな環境だったため、日本にいる時よりも健康な食生活と共に、近くにある大学付属の語学学校へ通い始めました。
ここで知り合った日本人の友達が、
「ホームステイ先が毎日肉ばっかりでもう飽きたー」と。
殴ってやろうかと思いました。

学校は英語力によってレベル分けされたクラスが用意されており、入学時のテストで配属が決まります。
英語が苦手なわたしは当然のように弱小クラスのLevel1。
ひたすら先生の優しい英語を覚えていく。不思議とあれだけ嫌いだった英語が少し楽しくなってきました。
まぁ、語学留学の形で来た以上はそれやるしか無いんですけどね。
ここでは3ヶ月ほどで日本へ帰る予定でしたが気が付けば延長延長で6ヶ月くらいいましたね。貯金が無くなる無くなる。
この時は「海外に行く!」が目標だったので学校でも多くの日本人と友達になりました。目的が「英語」では無かったので問題なかったのですが、もしも英語を真剣に学びたい方は出来るだけ当たり障り無い程度に日本人とは距離を置いた方が良いかもしれませんね。安心して飲み込まれると日本人とばかり遊んでしまうので。そうなると英語の伸び率が…
ただ、もう10年程経ちますがわたしがここで知り合った友達とはまだ連絡とってたまに会い、飲み、結婚式に参加し、そんな関係がこの先も長い付き合いになるでしょう♩
英語2割 遊び8割…はちょっと言い過ぎかもしれませんが、それくらいの気持ちで毎日を過ごしました。
そりゃ、楽しくないわけがありません。

友達と付き合っていくうちにほとんどのみんなが「ワーホリ」で来ていると。

なにそれ?

ここでワーホリ情報を得たわたし。学生ビザと違い、ワーホリは1年間何したっていい。

え?なにそれ?

ワーホリで来ている友達に比べて学生ビザで期間の短いわたしは皆より早くに帰る。さようなら…
は、さみしいな…

「mory(わたし)もまたワーホリで戻ってくればいいじゃない」
はい。行きます。戻ります。
こうして軽〜い気持ちでワーホリを決めたわたしはサクッと帰ってサクッとまたオーストラリアに戻るのでありました。

オーストラリア その3 〜いざ〜

決めた後は早い。
貯めてたお金に目標もできたし、足りないければ働けば良い。
ビザを申請、語学学校に入学届けを出す。ワーホリを知らなかったため、当然エージェントの存在も知らない。何とかかんとかで何とかなりました。

当時のパスポートを見て思い出したのですが、学生ビザで行く前にテンションを上げるため一週間ほどオーストラリアへ行くというとんでもなく贅沢なことをした記録が残っていました。
まだ飛行機という乗り物に乗ったことが無かったので、待ちきれずにとりあえず乗ってみたかったんでしょーね(笑)
しかし、贅沢ですねこの野郎。

バイト先の先輩と最後の記念にパチスロへ行こうと意気揚々に出掛け、普段なら負ける所を何故か勝つという。
なかなか良いお小遣いを手に入れ、いざオーストラリアへ!

オーストラリア その2 〜きっかけ〜

そもそも、わたしがなぜ海外へ行こうと思ったのかと聞かれると、これまたよくある自分探し的な部分が半分。もう半分は高校在学中から卒業までバイトして友達と遊んで…の繰り返しに楽しい反面どこかで将来に対して危機感を抱いてました。
何かやらなくちゃ…
そう焦りつつも、CG関係の仕事につきたい思いは当時からありました。
ただ、わたしの性格上何かを始めるとそれだけになってしまう傾向が昔からあったため、

このまま専門、就職したら自由時間が無いな…というか、何も誇れるものが無いな…学歴も無いし…何か新しい経験、あまり人がしてない経験をしてから仕事を目指したいな…
などと考えるようになりました。


CG関係のセミナーや学校見学もこの時いくつか行ったのですが、話の中で

「CGデザイナーとして技術や知識は大事ですが、人として多くを、色々なことを経験していることもとても大事です。」

みたいな事を誰かが言ってまして、
色々なことを経験か・・・それじゃぁ海外だ!留学だ!経験経験!

誰かは分からないが業界の偉そうな人が経験は大事だ!と言ってるんだから海外行ってもマイナスにはならないはずだ!
などと、彼の言う経験という言葉をそのまま直訳して自分に言い聞かせて決断しました。たしか。


今思えば彼の言う経験とは、コミュニケーション能力など、仕事を円滑に進める上で人との対話能力がとても大事なんですよ、といった意味だったような気がします。
それでもまぁ、結果的には多くを経験する中で人との関係がほとんどなのでこれもまた結果オーライでしたけどね。

そんな感じで海外行きを決断。
たまたま父親が若い頃にオーストラリアに行ったことがあり、その時の知り合いと連絡が取れたこともあって、じゃーオーストラリアにしよー
で、オーストラリア決定。
ただ、この時わたしはワーホリというビザの存在を知らず、ワーホリではなく学生ビザでオーストラリアへ行くのでした…
これが確か19歳の時。

オーストラリア その1 〜ワーホリ〜

ワーホリの経験というのは内容は人それぞれですがとても良い経験になるので迷っている人は行った方がいいよ!など、多くの経験者が口を揃えて言いますがわたしもそう思います。

実は今回のワーホリは2度目。
1度目は10年ほど前にオーストラリアへ行きました。色々ありましたが結果とても良い経験をしました。
だからこそ仕事を辞めてまでもう1度…となってる訳ですが(笑)
もちろん、人にはそれぞれ違った状況がありますからね。無理にでも行け!とは言いませんが。
楽しいことが多いのは確かだと思ってます。
もう古い話にはなってしまいますが、そんなオーストラリアの話を少しだけ書いておこうと思います。